プロフィール

こんにちは。あこう(@koji_ako)のプロフィールを見に来ていただき全力で感謝します!

僕は現在、国内外のどこでも場所にとらわれずMacbook1台で旅をしながら仕事をしています。

2019年にはセブ島と台湾でもビジネスを展開して行く予定で、控えめに言ってもクズすぎる人生を大きく変えることができました。

そう。僕は底辺のクズだったんです。

そんな僕の波乱万丈?なプロフィールをどうぞ!!

僕は高校まで偏差値35で超非リア充、社会に出ても工場非正規雇用8年、ニート2回超ブラック企業勤務2年半。34歳にして金なしコネなし学歴なし実績なし目標なし借金ありでした。そんな社会ど底辺ど真ん中のダメダメな僕が、36歳の今では横浜市内2DKにタダで住み、Macbook一台持って好きな場所に行って、好きな時間に好きなことをやって少しずつ仕事にしています。そしてなによりも、自分にとっての幸せがはっきりとわかった。そのきっかけをつかんだのはフィリピン・セブ島での怒涛の日々でした。(※2018年9月14日現在)

父親は酒、タバコ、ギャンブル、借金、ニートの5ツールプレイヤー

右があこう。左は元格闘家の須藤元気さん。セブ島にて。

僕は祖父、祖母、父親、母親、兄、僕の6人家族の次男として大阪府茨木市で生まれた。

その後、豊中市、吹田市と引越し、4歳の時に両親の離婚で大阪府高槻市に引っ越す。

それから33歳まで高槻市で過ごすことになる。

離婚はお互いさまの部分もあるだろうが、大半の原因は親父だと思っている。

まだ、僕が3歳か4歳の頃。ほとんど記憶にないが、親父の印象は

・いつも夜更かししてテレビを見てる。昼間は寝ている。

・僕が泣いていても、いつもうるさい!と怒られた。

・親父のいる部屋には大量のタバコと花札と麻雀セットなどがあった。

もちろん、遊びに連れて行ってもらった記憶もない。怖い存在でしかなかった。

そして、、、

決定的な一言「もう一回骨折ってくれへんか」

母親から聞いた話ではあるが、離婚の経緯を簡単に話してくれた時があった。

普段から酒、タバコ、ギャンブル、借金にまみれ、ろくに仕事もせずの親父。

もう我慢の限界だっただろう。

そして僕が4歳のころ、母親が腕を骨折してしまった。

保険に入っていたので保険金が下りたのだが、そのお金を持ってパチンコに行ってしまうクズ親父。

そして、あっさり負けて帰ってきた。

ムシャクシャしていたのだろうか。そこで放った決定的な一言。

親父「もう一回骨折ってくれへんか」

そして川崎家(※離婚前の名前)はあっけなく解散した。

フィリピン・セブ島に住んでいるときに、僕の半生をスライド付きで講演させてもらったのですが、さすがにこのシーンは会場がドン引きでした。笑

※父親とはそれ以来会っていませんが、さいたま市で生活保護を受けているみたいです。

22歳のシングルマザーと兄と僕

実は、母親は若くして結婚をして僕と兄を産んでいます。

2つ上の兄は17歳になりたての時、僕は18歳の時に生まれた。もちろん母親は高校は中退しています。

両親の離婚後。

母親は僕らを育てるため、高卒認定の資格を取得して美容専門学校に行き美容師の仕事を始めた。

しかし、それだけでは家計が追いつかないので、マッサージのアルバイトもやっていた。

ほぼ毎日、日付が変わるころに帰宅。最近までやっていた。マジ尊敬ですね。

そして、僕が小学生のころは兄にくっついて過ごすことが多かった。祖母は僕が小学校2年のときに亡くなり、祖父は夜勤勤務だったのもあり昼間は寝ていたから。

このあたりから小学校高学年になるにつれて少しずつ兄を中心に我が家にあやしい空気が流れる。

親父の遺伝子を兄がそのまま受け継いだ?

僕は幼少期から青春時代は兄の影響下にありました。

兄は、特にグレることもなく部活や勉強に熱中することもなく。ゲームをしたりテレビを見たり漫画を読んだりと、とにかくだらだらとした日々を送っていました。

僕は家族や友達の中でも一番多くの時間を兄と過ごし、多大なる影響を受けたのもやっぱり兄からでした。

僕も一緒にだらだら過ごすのが当たり前になって、勉強も部活も本気でやることは結局高校卒業までありませんでした。

兄とは異なる高校だったのですが、兄弟ともに偏差値30台の私立高校に専願で入学して、家計も圧迫しました。

もうおわかりだと思いますが、二人ともなんの志もない、なんの取り柄もない非リア充青春時代を謳歌したのです。笑

あこう
あこう
完全にやっちまったな!

進路ってなにそれ?美味しいの??

僕が高校2年生の時、兄がなんの勉強もしてないくせに一丁前に大学に行くと言い始めた。

そして、誰でも入れそうな短期大学にやりたいこともないのに入学。さらに家計を圧迫。

ここで母親から兄への短大入学条件として出されたのがたった一つ

・弟の大学の入学金をバイトで貯めてあげること

だったのです。

ただ、僕は進路ってなにそれ?美味しいの?状態だったので、母親から兄へそんな条件が提示されていることつゆ知らず、のほほんと日々を過ごしていました。

35人ぐらいいた中で31位。評定平均は3.0ですが、授業にさせ出ていれば誰でも取れます。3年生になるともっとひどい結果になった。

時は経ち、気が付けばいつの間にか僕も高校3年生の進路相談の時期になっていました。

そんなある日、抜き打ちの全国模試がありました。(抜き打ちの全国模試なんか多分ない。僕が話を聞いてなかっただけだと思います。笑)

一切勉強をしてこなかった僕が選択問題を適当に全部埋めると、なぜかまぐれで社会と国語がそこそこなスコアが取れてしまいます。

そこで大きな勘違いをした僕は、もしかしたら良い大学にいけるんじゃ無いか?ってなりました。

周りの人にも急に人が変わったようにK大学に行きたいって言ってました。←今考えると偏差値35にはまず無理な志望大学。笑

そして、運命の三者面談。

あこう
あこう
K大学行きたい!
母親
母親
無理!
担任
担任
だって。

帰りの電車で行けない理由を告げられました。

母親
母親
入学金が出せなくて。ごめんね。

そう。あいつの仕業です。

ここで母親から兄への短大入学条件として出されたのがたった一つ

・弟の大学の入学金をバイトで貯めてあげること

だったのです。

兄が2年間でバイトをして稼いだのは、中華料理屋での4万円のみでした。(それも嫌になって逃げたので、僕が代わりにバイト先に謝りついでに4万円を取りに行くという始末。笑)

ただ、今となってはあの時大学に行けなくて良かったとも思ってます。行ってもどうせだらだら過ごしていたと思うので。

そして、就活をすることもなくそのまま何も考えずに、人から吐き出される二酸化炭素のようにあっさりと社会に出ました。

就職氷河期って言われてましたが、僕には関係ありませんでした。だって、就活すらしてなかったんですから。笑

見事、ここに何の志もない意識低い系の非リア充フリーターの誕生です。

あこう
あこう
いやー、ふざけた生活してるよなぁ!

衝撃的な超絶美女との出会い。そして、、、

高校の卒業式を覚えてないぐらいあっさりと社会に出た僕は、ほぼニート同然の生活を過ごし、たまに日雇いのバイトを入れたりゴロゴロしたりと、高校時代とさほど変わらない毎日を過ごしていました。

母親からもさすがに注意され、仕方なくバイトを探し始める。

ただ、一人で知らない人ばかりの場所で働くのも嫌だったので、大学生の友人がバイトしている工場に派遣社員として入社することに。

工場の仕事内容は、品質技術で電球の検査をしたり処分する仕事でした。

誰でもできるバイトなので、特に志のある人が集まる職場ではなかった。

そして、特に何も無いまま2年が過ぎた。

実はこの頃、一応真面目?に休まずに会社に行っていたので、派遣元から正社員での登用を考えていると聞かされた。

まあ、特に何の志も持ってなかったし給料も安定するので、「もちろん前向きに検討させて頂きます!」ということで話は進んだ。

そんな矢先、大して浮いた話のなかった(多少はあった)僕のハートに電撃が走った!

長谷川京子と小倉優子を足して2で割ったようなとんでもない美女のAさんに出会ったのだ!

Aさんは大手保険会社の新卒保険外交員で、配属先が僕のいた大手企業の工場でした。Aさんは僕の二つ上で、身長も高くモデルのような体型の才色兼備なお姉さん。

相当大きな工場だったので、そのほかにもたくさんの保険会社の人が配属されており、大半が若くて美人な人だった。ただ、その中でもAさんは群を抜いていた。

そもそもなぜこんなにも美人を揃えるかというと、1,000人以上の従業員が居る工場のほとんどが男性なので、各保険会社も綺麗どころを送り込んで色仕掛け?をしてくるわけだ。

そりゃ、普段女性と触れ合う機会の少ない僕ら従業員からすると、いつもニコニコと話しかけてくれる美人さんが営業スマイルと分かっていても嬉しいもの。

そんな甘い罠に引っかかって?しっかりと保険を契約をする人がたくさんいました。

僕ももちろん各保険会社のお姉さんからお客さんとして見られているわけですが、僕は完全に舞い上がって勘違いしていた。Aさんにベタ惚れだった。

まあ、結果から言うと見事に撃沈!

一緒にご飯に行ったり、仕事終わりもいろいろ話せたんですが、、、見事に完膚なきまでに。笑

そりゃそうですよね。まずお客さんだし、そもそも意識低い系の非リア充フリーターでは無理ゲーですよ。笑

ここで気付く。

あれ?俺は今まで何をやって来たんだろう?何のために生きてるんだろう?このままじゃとにかくダメだ。変わらないと。

意識低い系非リア充フリーターからの卒業

高校時代。この写真はまだマシな方。イケてなさそうなのがわかりますよね。笑

フラれた僕は、2年半働いていた派遣会社の正社員の話も断って、すぐに辞めることにした。正社員になってもこのままじゃ何も人生変わらないと思って環境を変えることに。

ただ、やりたいことは何も見つかってなくて、とにかくモテるためにはどうしたらいいのかってことだけを考える。

とりあえずやったことは、郵便局の配達員、ボウリング場、カラオケ店、居酒屋などでコミュ力を高め、お金も貯める。それなりに楽しい思いも。

そして、郵便局のバイト中にある一枚のDM(ハガキ)を見つける。

トラジャルという旅行の専門学校があることを知った。

あこう
あこう
そういえば中学生の頃、何となく添乗員になりたいなって考えてたな。

早速オープンキャンパスに行き旅行の専門学校に入学することを決めた僕は、必死でバイトを掛け持ちして200万円貯めた。

さらに奨学金を200万円借りて、念願のトラジャル旅行ホテル専門学校(現・ホスピタリティーツーリズム専門学校)の旅行科に入学。この時22歳だった。

旅行を仕事にするということ

同級生はほとんどが18歳で親のお金で通っている。かたや僕は、自分でお金貯めて奨学金まで借りて、さらにみんなより4年遅れて入学した。周りと同じように過ごしてはいけないという覚悟だけはあった。

体調が悪くても友達にサボって遊びに行こうと言われても、2年間一度も休むことなく授業に出た。

1時間サボったら授業料の約3,000円をドブに捨てるような行為だからだ。

みんなは親に出してもらってるかもしれないけど、僕は自分で貯めたお金で夢を叶えるために来ているんだ!と日々強く言い聞かせた。

仲の良い7人グループの中で唯一国家資格を取り、沖縄旅行専門の旅行会社の内定を取った。

他の6人は旅行会社に就職するものもいたが、最初の数か月で退職して現在は旅行とは関係のない仕事をしている。

そして、約2年半。必死で戦った。

超絶ブラックな環境で毎日家に着くころには日付をまたいでおり、年収も300万に満たない。

それでも楽しくガムシャラにお客さんが満足すれば何でもいいやって思いで日々仕事に打ち込んでいた。

やりたいことだったので楽しかったが、今考えると社畜だったなぁ。

まぁ、やりたいことが出来たら何でもいいやって思いは、すでにこのころからあったみたい。

ただ、将来を考えた時にこの年収じゃあ結婚も出来ないし、出来たとしても毎日子どもの寝顔を見るだけになるかもなーなんて考えてた。

そして、やりたくて入った旅行業界を離れることにした。

今度この旅行業界に帰って来るときは、旅行会社を自分で作るぐらいになってやろうと決意を胸に。

やりたいことをやってみた結果

仕事を辞めてからは一気に時間が出来て、そして時間が無くて出来なかったことをとにかくやってみることにした。

まずはヨーロッパ21ヶ国を48日間で1人旅するという無茶に出た。be動詞もわからないっていうオマケ付きで。笑

毎日の宿探し、食事、移動することの大変さと、文化や慣習の違いが半端なくて(そりゃ英語が話せませんし、もちろんスマホとかもなかったよ。泣)。

日本で当たり前にご飯を食べられること、寝る場所があること、簡単に移動できることとか、日本の常識とか当たり前がめっちゃありがたく感じた。

 

とにかくトラブルだらけだったけど(英語がもう少しでもできれば、スマホがあればこんなことには絶対ならないです。笑)色んな人が助けてくれて自分でも何とかして。

一番勉強になったことは、人って追い詰められても環境に順応できるんだ、なんとかできるんだって心の底から思いましたね。

45日後にスタート地点でもあるスイス・チューリッヒに戻って来たときは、全く英語力は伸びてないけど、ひとまわりどころか50まわりぐらい成長した感じで同じチューリッヒの街並みを見てました。

「この英語力と計画性のなさで海外一人旅できるならもう怖いもんなんてない。圧倒的にメンタル強くなったな。」

って。

それからも、野球部に一回も入ったことがないのに(中学の時は声出しの迫力にビビって入部出来なかった。笑)高校、大学の野球経験者ばっかり集めて強豪軟式野球チームを作ったり、富士登山3回行ったり、フルマラソン2回完走したり。

とにかくやりたいことを挑戦しまくった。

無駄に強くなって、なんでもできるだろうって思って再度就職活動を自信満々にスタート!

しかし、現実と理想のギャップがあり過ぎて条件が折り合わず、再びやりたいこともわからなくなる。

そして大した実績もない勘違いした27歳を、一から育てるつもりで取ってくれる会社はなかった。

二度目の工場生活

ただ、お金も尽きてきたので地元高槻の大手製薬メーカーの工場で派遣社員として働くことに。二度と工場では働かないと思ってたのに、また同じ轍を踏むことに。

もちろん若い時と違って、ちゃんと目標を持って日々取り組むようにした。

しかし、3交代制の勤務で体調管理が難しく、さらに職場環境としても正直良くない。

従業員の意識は低く、志がない人がほとんど。タバコ、酒、風俗、ギャンブル、携帯ゲーム、メイド喫茶にハマり、遅刻を繰り返す人もいた。まともな職歴が無く低学歴な人も多かった。

工場ってだいたいこんな感じってわかって来たものの、やっぱり人生を変えたい自分に取っては良くない環境だった。

その中で、大手製薬会社の直接雇用という形で正社員登用前提の契約社員に。

さらにその1年後の31歳の頃、登用試験をパスして正社員の内定をいただいた。

正直、いろいろ悩んだ。このまま大企業でおもしろくはないが安定した生活を選ぶか、それとも自分らしい生き方を選ぶのか。

結局、正社員の話はまた断った。それから約2年契約社員として働くことになる。翌年も正社員の打診を受けたが、僕としては一度退路を絶ってるので、そこはきっぱり断る。

結局なにを考えていたかというと、

あこう
あこう

年功序列や終身雇用の色が残る会社に入ったって、すでにスタートの遅れている僕は頑張っても上にはいけない。せいぜい課長止まりだろ。

狭いコミュニティーの中で毎日同じ作業を繰り返し、新しい人も情報もほとんど入ってこない。世界観も全く広がらないし、「井の中の蛙大海を知らず」を絵に描いたような職場。

もし40代とか50代になった時にリストラ食らったら?会社が倒産したら?やりたくもない悪条件の仕事を探しにハローワークに行くのか?実際にハローワークでそういった悲壮感漂う人たちもたくさん見てきたし。

というか、そもそも昇進に興味が全くない。正社員でちゃんとまじめに働かないと世間体が良くない、、、とかマジでどうでも良い。

これからの時代は会社も国も他人も誰も守ってくれない。自分と周りの近い人たちは自分で守る!

 

人生一度きり!やりたいようにやってやる!


なんてことを日々思っていた。むしろ声に出してました。笑

そしてフィリピン・セブ留学に行くことも決まり退職日が近くにつれ、職場の同僚や先輩、上司たちは以下のような反応になっていった。

あこう
あこう
会社辞めてフィリピンのセブ島に留学行って来ます!
上司A
上司A
フィリピン行ってフィリピンパブでも開くの?笑
上司B
上司B
辞めたら長期連休やな。まあ死ぬまでずっと連休かもしれへんけどな。
同僚C
同僚C
これからどうするつもりなん?もったいない。ここ辞めたらどこも行くとこないで?

まあ、冗談のつもりで言ったのかも知れないが、みんなにとっては確実に理解しがたい選択だったのだろう。

でも、このまま残れば5年後、10年後先に何があるのか。

それは今と何も変わらない毎日があることだけは僕には見えていた。

そして、自分なりに準備が整った34歳目前の2016年7月20日に退職。その3日後にはセブ島にいた。

人生を変えるセブ島留学に挑戦

QQ Englishという学校に3か月留学するためにフィリピン・セブ島にやって来た。

中学校の4月から一切勉強をしてこなかった英語をなんとかしようと1からやり直す、いや、正確に言うと英語をちゃんと勉強するのは初めてだった。

セブ島留学でゼロからのスタート。

入寮の日には数名の日本人とも仲良くなり、順風満帆なセブ島留学生活が待ち受けている。

と思っていた。

この後に待ち受ける試練を知る由も無く。

入学日オリエンテーションを受けるため語学学校に行った私は、持ち前の明るさを武器にどんどん新入生に話しかけていった。

そして意気揚々と教室に入ったが、オリエンテーションが始まるともう笑えなくなっていた。

全く何を言ってるかわからない。ただ、周りの人たちは結構理解している。自己紹介もみんなそこそこ話せている。

かたや僕は、、、挙動不審のどもりまくり。

Speaking/Writing/Listning/Readingの4技能テストが行われ、メッタメタのケチョンケチョンに打ちのめされた。

 

翌日・・・

 

オリエン結果はバッチメイトと言われる同日入学生の60人の中で、お見事最下位だった。

4技能それぞれ1.0〜10.0点で評価される。ライティングは最低の1.0点、スピーキングも1.2点。総合点は十段階でLEVEL1(Absolute biginner=完璧な初心者)という散々たる結果。

これは来る場所を完全に間違えたかも、、、

実力テストで見事な大敗を喫した僕は、みんなが勉強に遊びに充実した日々を過ごす中で、基本的には誘いを断り続けストイックに英語の勉強に取り組んだ。

あこう
あこう
高校1年生の女の子にも英語を教えてもらったりもしたな。笑

自分の半分以下の年齢の人に英語を教えてもらう。もうプライドなんかとっくに無くなっていた。

写真は2か月目もの。結構伸びてますよね。

そんなセブ島留学生活を送り、3か月後の卒業する頃には先生と授業では問題なく話せるようになっていました。

実際にセブ留学生活をやって見て気づいたこと

ちなみに、セブ島留学前のプランでは

3か月の留学生活が終われば東京に出て、英語を使える海外旅行を扱える旅行会社に就職をしよう。

と考えていました。

しかし、セブ島で実際に生活してみて気づいたことがたくさんあった。

セブ島は発展途上国。日本では考えられないぐらいサービスやインフラが遅れている。

「日本人の発想があれば、何かセブ島でビジネスやおもしろいことできるんじゃないか?」

そう思うようになっていた。

また、単純にセブ島の文化や縛られない自由さが好きだった。

とにかくセブ島の人たちはお金はないけどいつも楽しそうで幸せそう。その秘訣も知りたかった。

二度目のセブ留学は英語でITを学ぶというもの

左が横田社長。

2016年10月の卒業を控え、もう一度セブ島に来ようか迷っている頃、同じ学校に通っている友人女性(後述のY社長夫人)から英語でITを学ぶ『Kredo』という学校の存在を教えてもらった。

2016年の8月に設立したばかりだったが、Kredo代表の横田猛夫氏が若干26歳で超絶にイケてると聞いていたので、興味本位で会いに行った。

Kredo代表の横田猛夫氏

国費でアフリカ・ウガンダのマケレレ大学院に留学し、そのあとセブ島のQQ Englishに語学留学。そのままQQ Englishのインターン→正社員→マネージャーと、メキメキと頭角を現す。社内でIT留学事業を立ち上げ、2016年8月に独立する形でセブ島IT留学の「Kredo IT Abroad .Inc」をセブ島の中心地にあるITパーク内に設立。

2018年9月現在では、ITパークとビジネスパークに校舎を持ち、生徒数が100名以上の規模に急成長しており、セブ島の若手経営者の中でも実力No.1の呼び声が高い。太鼓を持たせるとセブ島内でNo.2とも言われている。

約1時間の話の中で、学校の説明とITの重要さを話してもらった。

印象に残ったことは、

・ITの知識はこれからの時代に必要になってくるということ。

・英語でITを学び、英語で最新の情報をキャッチアップすることが時代を先取りする秘訣。

・横田猛夫氏がとにかく最先端で革新的な考えをしている。

この横田猛夫という人を信用して賭けてみることにした。

セブ島IT留学のKredoでの日々

2016年12月。一度セブ留学を終えて日本に帰国し、再度留学をするために1か月半ぶりにセブ島に戻ってきた。今度はセブ島でのIT留学。

ここから2か月みっちりと英語でITを学ぶことになる。

英語がそこまで喋れなく、さらにITがちんぷんかんぷんな僕からすると、まさに「赤穂史上でもっとも難しいこと」への挑戦である。

2ヶ月必死で取り組んだ結果、新しい世界が広がりITやパソコンを使った業務への苦手意識がなくなった。

そして何よりもよかったのが、日本に比べて賃金の安いフィリピンだからこそ、圧倒的低コストで質の高い最先端の授業を受けることができた点。

講師はセブ島で一番偏差値の高いとされるサンカルロス大学出身の現役エンジニア講師でした。短期集中で学ぶことができたので、コスパは最強でしたね。

ただ、英語での授業は正直苦戦しましたが。

 

勉強以外の時間は積極的にセブ島の日本人経営者に会いに行き、このままセブ島に残って旅行関係の事業でも起こそうかと考えていました。

そんな時、ある大手留学エージェントのY社長から「セブ島で旅行事業の立ち上げを考えているからお試しで3か月一緒にやらないか?」と打診を受けた。

もちろんこれはチャンスだと思いすぐに承諾。3度目のセブ島生活が始まることに。

セブ島での旅行事業立ち上げに挑むもあえなく惨敗

2017年2月に1度帰国して、3月から旅行事業立ち上げのために再度セブ島の地に降り立った。

そこからKredoのオフィスを間借りさせてもらい、日本現地のスタッフや社長とオンライン上でのやりとりの日々が続く。

ただ、そもそもWebのこともそんなにわかってないし、仕事の経験もほとんどが工場勤務だったので、パソコンを使って効率よく仕事をやることができなかった。

2か月をたった頃。Y社長とのミーティングで、はっきりと「期待以下だった」と言われた。

もう負けを認めて日本に帰ろうと思っていたが、そこで横田猛夫(以下たけさん)が一言。

たけさん
たけさん
あこさん(僕のあだ名)Kredoにくれませんか?Kredoには必要なんです!
Y社長
Y社長
たけがそこまで言うんだったら。

そして試用期間の3か月がすぎることもなく、まさかのKredoの第一号正社員として働くことに。

Kredoで働いた1年は今までの34年以上の価値だった

後日たけさんに後日聞いてみた。

あこう
あこう
なぜ仕事出来ないというレッテルを貼られた僕を採ったんですか?
たけさん
たけさん
誰よりも生徒さんのことを見てサポートしてくれて、気配りがうまかったのでKredoに必要だと思いました!

と言われました。

これは期待に答えないといけない。マジで恩返ししようと思った。

そのためには、

得意なこと(コミュニケーションを取る、接客サービス、感情論、精神論など)だけではなく、苦手なこと(パソコンを使った業務、Webを使った仕事効率化、Webマーケティング、ロジカルシンキングなど)も克服していかなければならない。

ちなみにKredoでの業務内容は主に以下の通り。

・旅行事業の立ち上げ(Webサイトのコンテンツ作成、ホテルや現地交通など手配、現地ガイドなど)

・親子留学現地サポート(空港ピックアップ、現地での生活サポート、プリスクール手続き同行など)


・就職サポート(Kredo留学生の国内外への進路をサポートなど)


・Webマーケティング(ライティング、SEO対策、SNS運用、体験談のインタビュー記事作成など)


・留学代理店現地スタッフ代行(現地での生活サポートや留学体験ツアーの同行など)

もちろん最初は、やっぱり使えない扱いをされてWeb担当を外されたりもした。

それでも志願してWeb担当に戻してもらって、今やっている仕事だけではなく新しい企画もどんどん出していった。

おかげさまでどんどん帰る時間が遅くなり、プライベートの時間はほとんど作らず仕事と勉強の日々。まあ望んでそうやっていたのですが。

バリバリのイケてる海外ベンチャー企業って感じで、日々追われながらもありえないぐらい仕事を通じて成長することが出来た。

そして、2018年3月に独立することを告げ晴れてKredoを卒業することに。
同時に長かったセブ島での生活にも終止符を打ち、久しぶりの日本での生活がスタート。

横浜の2DKの家賃がタダ!?

東京に出たいと思っていたが金銭的にもう少し余裕を持たせたいので、しばらくは地元大阪でバイトでもしてお金を貯めて東京に出ようと考えていました。

その話をKredoでのスタッフで働いていた親子留学に来ていためっちゃお世話になったママさんに話すと

Kさん
Kさん
これからどうするのー?
あこう
あこう
東京に出たいんですけど、お金に余裕がないんですよねー。
Kさん
Kさん
そうなの?もしよかったらうちの母に聞いてみよっか?物件持ってて空きがあるかもだから。
あこう
あこう
えっ!マジですか!?お願いします!!

ということで、横浜市のかなり利便性のいいところに2018年のGW前から引っ越すことになりました。

家賃は0円なので、思う存分個人での仕事に集中できています。もう神様、いや女神様か。本当に感謝してもしきれません。いつもありがとうございます。

プロフィールまとめ

1万文字を超える長文になっていまいましたが、お伝えしたいことを簡単にまとめると。

あこうが結局伝えたいこと

自分のやりたいことはまず挑戦してみよう。

何歳であろうが、頭が悪かろうが、仕事の実績がなかろうが、お金がなかろうが、コネがなかろうが、そんなのは関係ないです。

環境は自分で変えることができますし、環境は自分を変えてくれます。

だって僕みたいな男でも、もがきまくって動き続けてるとこのように道が拓けてくるのですから。

嫌なことを無理して続ける必要はないです。三日坊主とかも気にせずにどんどんやっちゃいましょう。

世間体とか常識、当たり前に縛られすぎず、自分らしく動ける人がこれからの時代に輝けます。

常にこのように考えています。もちろん個人の感想であり、動くか動かないかはあなた次第です。

2018年12月現在の仕事状況(※時期によって変わります)

・Webメディア立ち上げ中(セブ、台湾に関わるものなど)

・SNS、SEOブログ、Youtubeの運用

・野球関係のイベント事業立ち上げ・運営

・Kredo IT留学を主とするセブ島留学カウンセラーとして活動

・Webライターとしての活動

・上場企業の創業者とオンラインサロンの立ち上げ中

・上場企業の創業者とセミナーイベント企画中

などです。まだ本格的には始まっていない構想段階のものもありますが、お仕事のお問い合わせ、人生相談などお問い合わせページTwitterFacebookなどでお願いします。

そして、僕の人生が大きく変わったKredoでの経験をお伝えしたいという想いから、セブ島留学カウンセラーとしても活動しています。IT留学もあります。

興味のある方は下記ボタンからお気軽にお問い合わせください。

KredoでのIT留学の経験を直接聞いてみたい

よっしゃ!世界へジャンプ!人生変えるで!

ということで、まだブログは始めたばかりですが時代とともにどんどんアップデートしていくので、どうぞみなさんまた見に来てやってください!

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