MENU
    LINEの友だち追加でお得な情報をGET!

    あこさんのどん底から人生を変えたストーリー

    こんにちは。

    あこさん(@kouji_akouのプロフィールを見に来ていただき全力で感謝します!

    まずはじめに・・・

    今あなたは自分の人生に満足していますか?

    「自分の人生はまだこんなものじゃない」「もっとやれるはずだ」「自分らしく、好きなことで生きていきたい」と思っている人もいるのではないでしょうか。

    もし少しでも当てはまる、何か人生を変えるきっかけが欲しいと思う方は、ぜひ私の「どん底から人生を変えたストーリー」を最後まで読んでみてください。

    「こんなやばい人もいるんだな」
    「この人ができるんだったら自分にも出来そうだな」
    「こんな人にはなりたくないからもっと頑張ろうかな」

    どれだけバカにされてもいいです。

    ただ、このストーリーがあなたの人生を少しでも良くする、何かのきっかけになればいいと思っています。

    \ 人生を変えるノウハウを配信中! /

    1.複雑な家庭環境で生まれ育つ

    残念な父親

    私が4歳のときに両親が離婚をしました。

    離婚の主な原因は父親です。

    ダメ親父の奇行

    ・昼夜逆転ニート

    ・遊んでもらった覚えはない

    ・怒られた記憶しかない

    ・モラハラ

    ・大量のタバコ(セブンスター)

    ・花札と麻雀で賭博の形跡

    ・大パチンコ中毒

    私は遊んでもらった記憶もなく、怒られてばかりいました。

    そしていよいよ決別のときが・・・

    「もう一回骨折ってくれへんか」

    ろくでもない親父のせいで、すでに家庭は崩壊していましたが、離婚を決定づける出来事が起こりました。

    とある日、母がキッチンで踏み台から落ちてしまい腕を骨折してしまったのですが、、、

    見舞金として保険金が出たのです。

    ここでダメ親父が登場します。

    骨折したときの保険金を持って、なんとパチンコを打ちに行く父親。

    そして当たり前のように負けて帰ってきました。

    ここで衝撃的な一言が・・・

    ダメ親父「お前、もう一回骨折ってくれへんか」

    慰謝料ももらえず苦しい経済状況に

    そしてダメ親父から逃げるように離婚を選択。

    母はまだ23、24歳あたりと若く、私は4歳で兄は6歳でした。

    二人とも10代での子供だったこともあり、母の苦労は想像するに容易い状況。

    慰謝料ももらえずに、私たち一家は経済的に困窮することになるのです。

    2.徐々に影をおとす幼少期から学生時代

    意識が育たない幼少期

    母は忙しく父親もいないため、子供ふたりで過ごす時間が多くなる幼少期。

    道しるべがない状況での子供だけの時間は、どこか無意識でふわふわしたものでした。

    「〇〇がしたい」「□□になりたい」などの欲求がどこか欠落していたのかもしれません。

    小学生高学年になる頃には孤立し始める

    幼少期から小学校にかけては、なんとなくボーッと生活をしていましたが、高学年になるにつれ徐々に周りから孤立し始めます。

    意識が育っていないからか、周りの嫌がることを平気でやってしまい、過剰に周りから認められたり褒められたりしたいと思うようになりました。

    結果、夢も希望もなく私の周りには友人と呼べる人がほとんどいなくなったのです。

    中学では転落の一途をたどる

    陰キャの片鱗が・・・

    中学に入っても、生きる気力もなく勉強にも部活にも身が入らず、心の底から友人と呼べる人もいなくなっていきました。

    そして、町一番の不良に目をつけられ、パシらされたり、意味もなく殴られたりもしたのです。

    ただ、当時の私はそこにしか居場所がなかったのかもしれません。

    3年生になる頃には、部活にはまったく行かず、勉強も内申点も学内で最低レベルまで転落していきました。

    陰キャ無気力の高校生活

    いつの写真でしょうか。嬉しいことでもあったのでしょうか。笑

    高校へはなんとか進学させてもらったのですが、選択肢は一つしかなく誰でも入れると噂の偏差値30台私立高校に入学。

    陽キャだらけの体育会系やんちゃ学生が多く、もちろん陰キャ無気力の私にとっての居場所はありません。

    無気力はさらに加速し、成績もクラスでブービーとまったくダメで、帰宅部でバイトもせずただただ時間が過ぎていくだけでした。

    大した思い出もなく、経済的にも学力的にも大学進学できず、思い出そうにも思い出せないぐらいの青春時代を過ごすことになったのです。

    3.ニート・フリーター・ブラック企業でお先真っ暗

    やりたいこともわからず高卒ニート生活

    高校を卒業したらなんとなく大学に行くものだと思っていましたが、就職活動もまったくしておらず気づけば高卒ニートに。

    たまに日雇いのバイトに行くものの、やりたいこともわからずダラダラと無気力ニート生活が続きます。

    コンビニに一人で行くこともできない、引きこもり無気力状態になり、最悪な社会人生活スタートとなりました。

    工場派遣で社会復帰するも・・・

    引きこもりニート生活も半年が過ぎた頃・・・

    数少ない友人が工場でアルバイトをしていると知り、紹介してもらい工場派遣として働くことに。

    特にやりたいことがあるわけではない私は、やる気もなく適度にサボりながらズルズルと2年半ほど工場派遣を続けていました。

    ブラック企業で疲弊し再びニート・工場派遣で泥沼へ

    その後、専門学校に行き旅行会社に就職するも、超ブラック企業で基本給11万円台のサービス残業100時間越えという過酷な環境。

    パワハラ、セクハラ、モラハラが日常的に行われ、将来性も見込めないため、結局約3年働いた頃に退職をすることになりました。

    そして、仕事ができない実績も実力もない私は、転職エージェントにも相手にしてもらえず、面接も書類選考で落とされる日々が続きます。

    そして、就職活動も少しずつサボりがちになり、再び引きこもりニート生活が始まったのです。

    すでに28歳。

    正社員ではなかなか受からないので、仕方なくまた地元の工場派遣で働き始めることにしました。

    4.絶望続きの人生にセブ島英語留学とIT留学で希望の光が

    気づけば33歳フリーターという現実に絶望を感じる

    工場勤務では3K(キツい、汚い、危険)な環境で、給料も安く夜勤含む三交代勤務でストレスと絶望を感じる日々を過ごします。

    しかし、同僚の意識も低いため、手を抜きながら楽に仕事ができる環境でもあったのが悪夢の始まり。

    ぬるま湯の工場フリーター生活も気づけば5年以上に及び、ダラダラと時間だけがすぎ、34歳も目前に迫っていました。

    「あぁ。もうまともな社会人にはなれないんだろうな」と自分の人生を諦めはじめ、日々モヤモヤしていたのを覚えています。

    セブ島留学に挑戦することに

    とはいえ、「一度きりの人生、このまま終わるわけにはいかない」という気持ちもずっと心の中にありました。

    人生を変えるためにはやはり大きな挑戦をするしかないと思い、思い切って5年以上働いた工場を辞めることにしたのです。

    元々、私は幼少期の頃から地図を見るのが大好きで、先述にもありますが社会人になってから旅行専門学校に通い、そこから旅行会社で働いた経験があります。

    そして、地図好きがきっかけでよくひとり旅に行くようになり、最終的には留学に行ってみたいという結論に至りました。

    「このまま工場で一生を終えたくない」「自分の好きなことを形にしたい」という想いで、33歳にしてフィリピン・セブ島への留学に挑戦することにしたのです。

    人生を変えるきっかけとなるセブ島留学

    工場を辞めて三日後、ワクワクと不安を半々にかかえながら、セブ島・マクタン空港に降り立ちました。

    しかし、まだこのときはこれから2年にわたるセブ島生活で、幾度となく待ち受ける挫折と試練の日々を予想せずいました。

    留学初日にテストを受け、同級生60人中60位という英語力に「来るとこ間違えたかな」と嘆き、英語で自己紹介もままならぬところから3ヶ月の英語留学がスタート。

    来る日も来る日も英語環境でもがきながら、3ヶ月の留学を終える頃にはなんとか日常会話ができるようになっていたのです。

    さらに高みを目指してセブ島IT留学に挑戦

    そして、セブ島留学中にたくさんの人たちに出会うことができ、縁があって英語でIT(プログラミングなど)を学べるKredoという学校を知りました。

    Kredoの社長とお話をさせていただき、これからの時代は「英語とIT」が必要と強く感じ、IT留学に挑戦することに決めたのです。

    しかし、英語でITを学ぶというのは私にとっては未知の世界。

    ただでさえ英語が得意ではない中で、さらに工場の現場仕事ばかりしてきた私は、極度のパソコン音痴というハンデがありました。

    それでも必死に2ヶ月のIT留学で挫折を繰り返しながらも、低レベルながらも自身のホームページなどを作成することができたのです。

    5.セブ島で事業立ち上げと海外就職して急成長する

    セブ島旅行事業の立ち上げメンバーはなんとあの方

    IT留学に来ていた人たちや関係者は、絶対に工場勤務では出会えないような優秀な人、経営者やインフルエンサーの方たちも多くいました。

    半年前まで工場フリーターをしていた私にとっては、別世界すぎて刺激的な毎日であり、同時に劣等感を感じる日々でもあったのです。

    それでも「どんな環境に身を置くかが大事」であり、セブ島で一番の落ちこぼれ中年の私でもチャンスが舞い込んでくるのでした。

    なんと、SNS総フォロワー100万人を誇るバンコク在住のマナブさんなどと一緒に、セブ島旅行事業の立ち上げでお仕事をさせていただくことになったのです。

    「公園で草野球していたらアメリカのメジャーリーグ球団から声が掛かった」ぐらい異次元の世界でした。

    Kredo1人目の社員として海外就職

    スタートアップ企業で挫折と生長の日々

    旅行事業ではやはり活躍するのが難しく挫折と勉強の日々でしたが、多くの学びと人脈が繋がっていきました。

    そして、また縁があって創業1年目のKredoに声をかけてもらい、一人目の社員として海外就職することになったのです。

    今までの33年の人生をすべて塗り替えるほどの濃密な2年間

    今までは工場の単純作業がメインでしたが、セブ島では複数の仕事が同時に進行していくという、体がいくつあっても足りないという状況に・・・

    セブ島で関わらせてもらった仕事

    ・セブ島団体旅行の現地責任者
    ・セブ島親子留学の現地責任者
    ・Webマーケティング責任者
    ・日本人IT留学生のキャリアサポート責任者
    ・日本人IT留学生の生活サポート
    ・留学エージェントセブ支店の現地スタッフ

    スタートアップならではの「多岐に渡る領域でゼロから仕事を生み出し結果を出す」というとてつもなく過酷で、プレッシャーのかかる毎日を過ごしてきました。

    おかげさまで、今までの33年の人生をすべて塗り替えるほどの、圧倒的に成長することができた約2年間のセブ島生活にもなったのです。

    少なくとも工場勤務を続けていたら、絶対にこんな貴重な経験はできなかったでしょう。

    さらに、多くのインフルエンサーや芸能人などの著名な方、上場企業の創業者やスタートアップ起業家の方たちとも一緒に仕事や食事をさせていただき、多くの学びもいただきました。

    6.帰国後に独立・起業で人生が大きく変わる

    日本に帰国後、自身の経験をブログにする

    そして激動のスタートアップ初期をKredoで経験したのちに退職し、約2年のフィリピン・セブ島生活に終止符を打ちました。

    そこから、私と同じような境遇の方(低学歴、低収入、フリーター、工場派遣、ニートなど)に向けて、自身の経験をブログに書くことに。

    あれだけパソコンが苦手だった私が、いつの間にかブロガーの仲間入りをしたのです。

    そして、100記事を書いた頃ブログに変化が・・・

    ブログで続々と問い合わせが来るように

    数々のDMをいただきました。

    なんとびっくり、毎日のようにブログ経由でSNSにDMが届くようになったのです。

    同じような境遇の方たちの力になりたいと思い、無料でいろんな人の人生相談に乗ってきました。

    「こんな自分でも、誰かの役に立てるんだ」と、心の底から人生に喜びを感じた瞬間でした。

    マナブさんを始めとするたくさんのプロブロガーから学び、さらにKredoでWebマーケターとして成長させていただいたからだと思っています。

    人生相談は300名を超えました!

    人生相談を300名以上乗った結果、独立・起業を果たす

    そして気がつけば人生相談に乗ること300名以上。

    毎日のように同じような境遇の人たちから話を聞いてきて、あることに気がついたのです。

    「みなさんも私のように人生を変えるきっかけが欲しい」ということに。

    そこで、みなさんの要望を答える形で以下のことを始めました。

    帰国後に始めたこと

    ・IT×英語留学の無料カウンセリング
    ・人生を変える認知科学コーチング、習慣化サポート
    ・その他、人生やキャリアのすべてにおける無料相談

    最終的にはサポートしてくださったみなさまのお陰で、IT留学エージェントとコーチングで独立・起業を果たすことができました。

    現在は、コロナも明けて「セブ島IT留学」も再開しており、ますます多くの人の人生サポートをしていける状態になっています。

    7.最後に伝えたいこと

    コロナショックでますます時代の流れや変化が大きくなった

    コロナショックにより、目まぐるしい時代の変化への対応を迫られる昨今。

    あなたの周りではどんな変化がありましたか?

    一般的な変化をご紹介すると、まず出社義務が少なくなり、リモートワーク・テレワークが普及しオンラインで仕事することが増えました。

    さらにコロナにより仕事を失ったり、給料や事業収入の減少。

    コロナ禍で需給バランスが崩れたことにより、世界的な物価上昇の引き金ともなりました。

    世界的なパンデミックも終わりに近づいてきましたが、デジタル・テクノロジー領域では、前倒しで時代が10年進んだとも言われています。

    日本の未来はこのままだと明るくない

    長年に渡る日本経済の低迷に、世界一の少子高齢化による生産力低下で一人あたりのGDPの伸び悩みなど。

    終身雇用制度の終焉や社会保障制度の崩壊なども目につくようになり、テクノロジー領域やグローバル展開の観点からも、世界からどんどん遅れを取る日本。

    昔の良かった頃の日本の恩恵にあぐらをかき、このまま今まで通り過ごしていると、いつの間にか「今まで通りの生活」が叶わなくなります。

    これからの日本では、一人ひとりが英語やITスキルを身につけ、グローバルな視点で勝負していく必要も出てくるでしょう。

    変化の激しい時代に、私たち日本人は今後、どうしていけばいいのでしょうか。

    「どうせできない」から「まだできていないだけ」で溢れる世界に

    人間は生まれたばかりのときは、自分自身で歩くこともご飯を食べることもできません。

    誰かに支えてもらって、少しずつ何かができるようになる生き物です。

    それは何歳になっても変わらないのに、ある程度大人になると「自分の才能や能力はこんなものだ」と勝手に限界を決めてしまいます。

    そして「自分にはどうせできない」と決めつけて、いつの間にか夢や目標といったものを心の奥底に閉まってしまうのです。

    しかし、私自身が証明してきたように、どんな家庭環境で生まれどれだけ落ちこぼれの底辺だったとしても、挑戦さえすれば世界が変わることもある。

    「たまたま、まだできていないだけ」と思うことが挑戦を生み、まだ知らない新たな自分に出会わせてくれます。

    この記事を書いた私の想い

    私と同じように人生を変える人たちを増やしたいと思い、この「人生を変えたストーリー」を書きました。

    日本人である私たちは、多くの他国と比べるても治安も良いし、街は綺麗で経済的にも豊かです。

    それこそ食べるものも仕事もあるし、生活保護や就職・自立支援などの社会保障も手厚い国。

    世界中探したって、日本ほど安定して豊かな国はそうありません。

    そんな日本に生まれた私たちだからこそ、この素晴らしい環境に感謝をし、挑戦してみるのはいかがでしょうか。

    失敗したら恥ずかしいかもしれないけど、何度でもやり直せる国、日本。

    世間からどう見られようが、失敗したら二度と這い上がれない国よりもいいじゃないですか。

    ここまで読んでくださった方へ

    ここまで読んでくださり、もしあなたが「自分の人生はまだこんなものじゃない」「もっとやれるはずだ」「自分らしく、好きなことで生きていきたい」と感じた方。

    ぜひ、この機会に私とLINEでお友だちになりませんか?

    どん底から人生を変えるために、コーチングや心理学、英語、IT、ビジネスの勉強など総額1000万円以上を自己投資してきました。

    そして300名を超える方の人生相談に乗ってきた経験があります。

    LINEのお友だち限定でお得に学べるご案内や、人生を変えるためのノウハウ、習慣術、マインドセット、ビジネスの知識などを配信していきます。

    また、「人生を変えたい」と強く思う人は、毎月5名様限定で「人生相談」に乗っています。

    期間限定です。

    どれも簡単なものではないかもしれませんが、私があなたの挑戦を誰よりも応援します。

    私と一緒に人生を変える挑戦をしていきませんか?

    すべての人に可能性がある。何か人生を変えるきっかけをつかみたい方は、LINEのお友だち追加お待ちしていますね。

    あなたの挑戦を誰よりも後押しします!